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東京高等裁判所 昭和45年(う)982号 判決

被告人 荒木敏雄

〔抄 録〕

各所論は、原判決は科学的鑑定の結果を無視し、任意性のない被告人の捜査官に対する自供調書と、根拠のない独断とにより、被告人に対し放火の事実を認めたものであるところ、本件火災は、被告人が石油ストーブを転倒したことによる失火であるから、原判決には採証法則に違反し事実を誤認した違法があり、破棄を免かれないと主張する。

おもうに、まず、被告人が原判決のとおり、昭和四二年一一月一〇日午後九時ころ、出前の寿司を配達した帰りにバー「琉球」に立ち寄りビール五本くらい、ブランデーとカクテルそれぞれ一杯くらいづつを飲んでいたく酩酊し、同店の息子に送られて午後一一時ころ帰宅したところ、自宅八畳間座敷で電気こたつにはいつていた内妻高木久恵から、「こんなに酔つて来るんじやなさけなくなつちやう、働き甲斐がない。」と愚痴を言われたのに憤慨し、電気こたつをひつくり返えしたので、何時もの酒乱が起つたと恐怖した同女が裏の家主戸田昇方に避難した。そこで、被告人は、一層激昂し、大声をあげてどなつたり、手当りしだい屋内の物を投げつけ、店の表戸のガラス戸を叩き割つたりした後、裏庭に出て、戸田方にかくれていた久恵に対し、「帰つてこい。」「火をつけちやうぞ。」などとどなつていたが、同女が戻つてくる様子もないのでふたたび自宅に帰つて、なおも室内にあつた物を手当りしだいほうり投げたり蹴とばしたりして、部屋中を散乱状態にしてあばれまわつていたこと、そのうち、同夜一一時一五分すぎころ右座敷内から出火し、同家屋を全焼させたうえ、隣家の高田福松方、および木村義一郎所有の杉戸郵便局に延焼させ、前者を全焼、後者を半焼させたことは、いずれも関係証拠によつてこれを認めることができる。もつとも、このうち、被告人が「火をつけちやうぞ。」とどなつていたのを聞いたと述べているのは、当夜右杉戸郵便局の宿直警備の任に当たつていた局員の小島健司だけであるが、その小島の述べているところによると、同人は、そのころ被告人方で物を投げる音などがきこえたので、宿直室から事務室(外勤室)へ行きカーテンのすき間から見ていたところが、松ずし、すなわち被告人方の裏庭に白つぽい服装の男がいて大きい声で何か叫んでいた、何を言つているのかわからなかつたが、そのうちで「火をつけるぞ。」とかいう一言は聞いている、それは聞きちがいではない、というのであるから、同人のこの供述は、信用してさしつかえないものと思われる。ところで、原判決は、被告人の司法警察員に対する供述調書三通、および検察官に対する供述調書一通を採用し、これとその他の証拠とにより、被告人が、新聞紙にマツチで点火しこれを座敷内に投げ出し、よつて散乱物や、店との間の障子に新聞紙の火を延焼させたとして放火の事実を認定しているのに対し、各所論は、右被告人の供述調書はいずれも任意性を欠き、証拠となしえないものである、と主張する。なるほど、原審、ならびに当審証人中村桂助、同橋田米造の各供述、原審鑑定人高橋角次郎作成の鑑定書、および被告人の前記各供述調書の記載によると、被告人は、前記のような飲酒の結果、いたく酩酊し、本件火災現場で警察官中村桂助によつて現行犯逮捕されたときにもなお相当の酔態を示していたので、被告人を杉戸署に引致した同警察官でさえ、酔つているからきようの調べはだめだなあ。」という感じがしたというのに、その後一時間三〇分くらいたつた翌一一日午前一時ころから司法警察員橋田米造が、被告人の取調べをしていることが認められるから、この点からみても、そのころには被告人の酔いと興奮とはなおおさめきらず、したがつて、その注意力、記銘力の低下と、被暗示性の亢進とが存在していたことは想像するに難くない。しかし、さればといつて、そのさい作成された右同日付の供述調書の内容をし細に検討してみても、当時被告人が、深酔いのためにまつたく前後識別の能力を失いとりとめもないことを口走つていたものとは思われず、また、取調官が、被告人を脅迫、強制などして自白を強要した形跡なども認められないから、右供述調書が、その記載内容の信ぴよう力いかんの点は別として、任意性そのものを欠いているとまでいうことはできない。そして、その余の各供述調書については、それらが、すでにいずれも被告人が酩酊状態を脱した後に作成されたものであるばかりでなく、別段取調官によつてその供述を無理じいされた事跡も窺うことはできないから、やはりその任意性を欠くものと認めることはできない。したがつて、原判決が被告人の右各供述調書を証拠としたこと自体には格別違法のかどは存しない。

そして、右各供述調書には、被告人が、座敷でさんざんあばれまわつたあげく、新聞紙にマツチまたはライターで火をつけ、これを畳の上にほうり出したところ、それが座敷と店舗との間の障子に引火しパツと燃えあがつた旨の供述記載があり、これと、被告人は、帰宅早々前記のように、内妻久恵から面と向かつて愚痴をいわれ、さらに同女が、裏の家主戸田方に逃避し、いくら呼んでもおどかしても帰つてくる気配もないところから、いよいよ激昂したことなどを総合して考えると、被告人が、酒の勢も手つて、興奮のあまり、自暴自棄的な気持に陥り、とつさに火を放つて自家を焼く気になつたものと考えられないこともなく、また、新聞紙の火が座敷内に散らかつた可燃物に引火し、さらに障子に延焼し大事にいたつた可能性もあり得ないことではない、と思料されるから、被告人の放火を認めた原判決の認定も、必らずしも所論が強く非難するように非科学的な不可能事を安易に肯定したものとは思われない。

しかし、なおよく考えてみると、なによりもまず気になるのは当時被告人方の店舗に置いてあつたという石油ストーブと本件発火の原因との関係である。この点について、原判決は、弁護人の主張に対する判断を示した項目の(4)のうちにおいて、被告人の、昭和四二年一一月一一日付、同月一三日付、および同月一五日付各司法警察員調書、ならびに同月一五日付検察官調書における各供述記載の一部を引用した後、「以上の司法警察員調書における供述と、検察官調書における供述とは、ストーブをけとばして倒したか、持ち出そうとして引つくり返したのかの差異があるとはいえ、いずれも店にあつたストーブをその場所で倒したことについては同じなのであるから、この点について……実況見分の結果明らかになつた事実はない。」と説示している。そこで右実況見分調書を見ると、同調書にはその石油ストーブの見分時における状況について、「現場の散乱している……焼失残滓の中にうずもれて、店舗の内ほぼ中央部北寄りの地点に焼けただれた石油ストーブ一個を発見した。その位置を測定したところ、店舗と八畳の間との境より南方六〇センチメートル、店舗北西隅柱より二・五メートル、同北東隅柱より一・三メートルの地点にあり、上部を表出入口方面にほぼ直角に向けた形で転倒していた。」との記載がある(記録二四丁裏ないし二五丁表。)。そして、右の「店舗と八畳の間との境より南方六〇センチメートル」という記載が、「店舗とその北方につづく八畳間の『障子の敷居』から南方六〇センチメートル」の趣旨であることは、その記載自体および右実況見分調書添付の付図(三)によつて明らかである。ところが、原審における証人高木久恵の尋問調書および同人の昭和四四年一一月一五日付司法警察員に対する供述調書によると、右八畳間の店舗がわの障子の下は敷居から一〇センチメートルくらいのところが踏み板のようになつており、石油ストーブは、その踏み板から南方店舗内に四〇センチメートルくらい離れて置いてあつたことになつている(前同三四〇丁裏、八九丁裏)。(もつとも、原審第一一回公判廷における被告人の供述によると、この踏み板の幅は四〇センチメートルくらいということになつている=前同五八三丁。)そこで、他方、押収してある石油ストーブの底(台皿)を実測してみると約三八センチメートル四方のほぼ正方形をなしている(なお、その上部の油タンクの幅はほぼ三四センチメートルである。)。したがつて、もしこれをそのままの場所で店舗の表出入口の方に向かつて倒したとすると、その台皿は、少なくとも八畳間の障子の敷居から南方八〇センチメートルくらいのところになければならないことになつて、右石油ストーブの置き場所についての前記高木久恵の供述に多少の誤りがあることを考慮するとしても(ただし、当審における右高木の証人尋問調書によると、逆にこのストーブは、前記踏み板から四〇センチメートルよりもつと離れた八〇センチメートル前後の位置にあつたことになる。)、なお、前記実況見分調書の記載との間に相当のくいちがいがあることになるばかりでなく、かりにそのストーブを右見分調書の示す位置で立ててみるとすると、前記八畳間の障子からはかつて、石油ストーブの台皿は二二センチメートルくらい、石油タンクの側面もほぼそれに近い距離にあつたことになるから、これでは、右石油ストーブが記録添付のカタログにあるとおり放射型であればもち論のこと、たとえ高橋豊治作成の検査回答書(前同二八一丁)に記載してあるような対流型であるとしても、常識上いささか障子に近すぎるといわざるを得ない。したがつて、このようにみてくると、原判決のいうように「けとばして倒したか、持ち出そうとして引つくり返したかの差異があるとはいえ、いずれも店にあつたストーブをその場所で倒したことについては同じ」である、と断じ去るわけにはいかないように思われる。そして、また、もともと、被告人は、本件火災発生中自宅前路上で中村桂助巡査部長に現行犯逮捕されるさい「ストーブけとばして新聞紙で火をつけちやつた。」という趣旨のことを口走つていることが窺われるのであるが、被告人が当夜ストーブをけとばしたことがあるとしても、火災発生前後における被告人の言動を見ききしていた多くの人たちの言うところから考えてみても、被告人がけとばした物は必ずしも石油ストーブにかぎらないと推察されるし、そのうえ、かりに、被告人がその後司法警察員や検察官に対して述べているように、店の土間に火を消したままで置いてあつたストーブをけとばして倒すなり、あるいは持ち出そうとして引つくり返した程度のことならば、もとより火災の発生となんの関係もないことは、いかに酒に酔つてとりみだしていた被告人もこれを知らないわけはないと思われるのに、なぜそのことがそれほど深く被告人の印象に残り、自分が逮捕されるときに、あたかもそれが火災の一因であるかのように口走つているのであるか、いささかその理由を解するに苦しむといわざるを得ない。いわんや検察官に対して述べているように、すでに障子がパアツと燃え上がつてから店にあつた石油ストーブを外に持ち出そうとして引つくり返したものとすれば、この疑問はなおさら深まることになるのであつて、この点については、やはり、被告人として、自分がそのストーブをけとばすなどして倒したことが火災の一因である、と思いこむのがもつともであると考えられるようななんらかの経緯が伏在していたものと推量するのが合理的である、と思料されるのである。そこで、原審における被告人の供述をみると、「私は、石油ストーブに火をつけて座敷に持つて行つて置き、妻を呼びに行きましたが帰つて来ませんので、あたりちらし、そこらにあつたものを投げ出し、それがストーブにあたつたのだと思いますが、石油ストーブがひつくり返りました。それでストーブをコンクリートの土間に持つて行きました。そのとき座敷の畳、カーペツトが燃えていたと思いますが火を消そうとしてズボンをぬいでバタバタしました。」(第一回公判廷)、「ストーブが座敷にひつくり返つたので芯をしめたのです。」、「芯を上までいつぱい出したかどうかはわかりませんが、火はつけました。」(第二回公判廷)、「妻を呼びに行つてからストーブを店のたたきから座敷に上げてライターで火をつけました。あばれているうちに火が大きくなつたのです。それから火を消したような気持もしますが、あばれているうちにストーブをたたきにおろしたか座敷に移動したかおぼえていません。」、「ズボンでバタバタ叩いたのと、水道の蛇口から水を出したことはおぼえております。」、「ホースで水をかけました。」(第三回公判廷)、「妻を表に呼び戻しに行つたような気がします。それから家に帰つてあたりにあるものを投げ、それからまた裏に行つてどなつたらしいのです。頭にきて石油ストーブを持つて座敷にあがり、ビールか酒を飲もうと思つたような気がします。石油ストーブに火をつけて、またおもしろくなくてあばれていたのです。何を投げつけたかわかりませんが相当あばれ、店に行つたり、座敷にあがつたりしてあばれているうちにあかりがぼうと出たので、はいていたズボンをぬいでバタバタしたのをおぼえています。」、「石油ストーブをまたもう一度持つて何かやつたような気もします。」(第七回公判廷)ということになつており、また、当審においては、「新聞を持つて火をつけたような記憶はないです。」「座敷にあげストーブに火をつけた記憶があります。」「足か体でストーブを倒したような、またズボンで消したような気がします。」「火の手があがつたような記憶があります。ストーブをつけたあたりからです。」(第六回公判廷)、「ストーブが倒れたかどうかわかりませんが、正常な燃えかたでない状態で燃え上がつていたようなので倒れたのではないかと思います。それでズボンをぬいでバタバタやつた記憶があります。」「ストーブを座敷の方から土間へ放り出した記憶があります。」(第一〇回公判廷)と述べているのである。そして、これら一連の供述を通覧すると、なるほど被告人は、酩酊の結果、注意力、および記憶力等に多くの欠落があるため、その供述内容も相当明確を欠き、かつ、かなり動揺しているふしも看取されるが、その言おうとするところは、要するに被告人は、内妻久恵とその子洋子とが戸田方に避難した後、店のたたきの上においてあつた本件石油ストーブを八畳の座敷に持ちこみ、暖をとるためライターでこれに点火し、裏庭に出て久恵を呼び戻そうとしたが、同女が戻つてこないので、いよいよ憤激し、座敷内などにある物を手当りしだいに投げつけ、あるいはほうり出してあばれまわつているうちに、なにかのはずみで投げた物がストーブに当つたか、又は被告人の体がそれに当たつたかして燃焼中のストーブが転倒したが、それに気がついたときはすでにそのストーブから石油が漏れてそれに引火し、畳、カーペツトなどが燃えあがつていたので、これにおどろいた被告人は、いそいでつまみをまわして芯をさげ、ふたたびストーブを手にしてこれを店のたたきに投げ出し、ズボンをぬいで火を叩いたり、ホースで水道の水をかけたりなどしたが、火はその間に周囲に散乱していた可燃物に燃えひろがり、ついに大事にいたつたものである、との趣旨に解せられるのであつて、この供述を念頭において考えてみると、被告人が、前記のとおり、中村巡査部長に対し、「ストーブけとばして新聞で火をつけちやつた。」と口走つたその真意の一端を窺い知ることができるようにも思われるのである。もつとも、所論は、「被告人が激昂しているさなか、たやすくつかむことのできるような状態で新聞が八畳間に散乱していた、という証拠は、一件記録上何もない。内妻久恵の証言によつても机の下に三〇センチメートルくらいの高さにそれが置かれていたというにすぎず、しかも聖教新聞は、被告人が御本尊に次いで大事に扱つている重要紙であることが窺われる点にかんがみても、「新聞紙に火をつけた」ということばを被告人が口にした、ということは虚構である。」と強く反発する。なるほど、創価学会の信仰者である被告人にとつて聖教新聞紙が重要紙であることは、もとより理解するに難くない。そして、また、高木久恵が所論のように述べていることもそのとおりである(前同三四二丁裏ないし三四三丁表)。しかし、他面、右高木久恵が、検査官に対し、当時被告人方では聖教新聞のほかに朝日新聞も購読しており、それがやはり机の下に積まれていた旨を述べている(前同一〇四丁裏)ことを逸し去るわけにはいかないし、また、ただ机の下に積んであるだけの新聞紙を手にすることは、被告人にとつてもけつして困難なわざとは思われない。したがつて、本件のばあいのように酒の酔いも加わつていたく激昂していた被告人が、たとえさすがに聖教新聞についてはこれをさし控えたとしても、かたわらにあつた朝日新聞を手にしてあたりかまわずほうり散らす、ということは、じゆうぶん合理的に考えられるのであるから、被告人が、「……新聞紙で火をつけちやつた。」ということばを口にした、という前記中村証人の供述を虚構であると難ずる所論は、必ずしも当を得たものとは思われない。ただ、もとよりそれだからといつて、その「新聞紙で火をつけちやつた。」ということばの意味を被告人がマツチあるいはライターで直接新聞紙に火をつけた、という趣旨に解すべきか、またはストーブをけとばしてそのために投げた新聞紙に火がついた、という趣旨にうけとるべきかは、おのずから別個の問題であつて、これを聞いたという前記中村証人でさえそのいずれであるかわからない、との趣旨に解せられる供述をしているのである(前同一八四丁表)。また一方、原審鑑定人高橋豊治作成の鑑定書によると、同人が行なつた実験の結果として、点火した新聞紙の相当量を障子の近くに置いたばあい、その距離が三〇センチメートル以内でないとその障子に引火せず、たとえ、障子紙に引火した場合でも、障子紙が一瞬燃えあがるだけで障子の桟にまで延焼することはなく、いわんや、それから鴨居や、その上のベニヤ板壁にまで延焼することは困難であることが示され、また、畳やカーペツトの上で新聞紙が燃焼したばあい、その燃焼中は畳やカーペツトも焔をあげて燃えるが、新聞紙の燃焼が止まるとやがて畳やカーペツトも消火し、独立燃焼するにいたらないことが認められる。したがつて、畳の上に油類などの引火性物質が流れているようなばあいを除き、通常の可燃物がおいてあるに過ぎないときには、新聞紙や経木類のように瞬時に燃え尽きるものの燃焼によつて畳やカーペツトに引火し、本件のばあいのように比較的短時間のうちに家屋全体に燃えひろがるというようなことは、よほど特殊の条件がこれに加わらないかぎりはいちじるしく困難ではないかと思料される。そして、現に、関口資三郎の司法警察員に対する供述調書(前同一二二丁)によると、同人が被告人方店舗出入口ガラス戸を通してカーテン越しに内部を見ると、暗い屋内の奥の方があかるく火が燃えていたが、その火は、石油ストーブでもひつくり返したように、パーツとひろがつていくようであつた、というのであるから、やはり本件火災が発生したさいにはその周辺の畳かカーペツトの上に油類などの引火性物質の漏出していたことが窺えるような状況がなかつたとはいえないのであるから、これらの点からみても、被告人が石油ストーブを座敷にはこびこんだのではないかという公算も相当程度裏付けられているものと思われるのである。ところで、司法警察員作成の実況見分調書、当審で取調べた塚本孝一作成の鑑定書、および当審における証人兼鑑定人塚本孝一の供述によると、本件石油ストーブが、前記のように、火災跡の被告人方店舗のたたきの上に灰じんに埋もれて転倒しているのが発見されたとき、その石油タンクの給油口と、同タンクに取付けてある油量計の口とはいずれも上向きになつていて、しかもその双方のふたがともにはずれてストーブの下の灰の中にあつたことが明らかであり、そして、右ストーブの破損状態からみると、同ストーブは、火災発生前かあるいは発生後まもなくすでになんらかの原因によつて同所に転倒していたものと推察される。そこで、もし、被告人が、本件火災発生前にいつたんストーブを座敷内にはこびこむときすでに給油口と油量計のふたがはずれていたとすると、その後そのストーブが座敷で転倒した際、給油口、および油量計の穴から白灯油が畳やカーペツト上に流出し、ストーブの火からこれに引火して燃えひろがり、そばに転倒しているこたつにかけてあつた毛布や、被告人が投げ出した可燃物などに延焼し火災になることは容易に考えられるところである。しかし、他面、高木久恵の原審証人尋問調書によると、本件当夜ストーブの給油口のふたはたしかについていた、というし、また、油量計のふたは、もともとストーブの使用中取りはずす必要のないものであるから、これもまたしめてあつたものと考えるほかはないのである。このようにみてくると、被告人がストーブを座敷内にはこびこむときすでに在中の白灯油をまきちらして放火する意図のもとにあらかじめそれらのふたをはずしてストーブだけを座敷にあげたのではないかとの疑いも一応は残るわけであるが、これを確認するにたる証拠はないばかりか、もしそうであるとすれば、被告人が油を流してそれに引火させた後、わざわざその芯のつまみをまわして消火状態にしたうえ(燃え残りの本件石油ストーブの芯が消火状態になつていたことは、前記高橋豊治作成の検査報告書によつて明らかである。)、これをふたたび店舗の土間に持ち戻しておくなどということは、いかにも不自然であるし、それにまた、そのさいそのストーブがたまたまさきにその場に残しておいた給油口や油量計のふたの上に転倒するということも、あまりに偶然にすぎるものといわなければならないであろう。弁護人は、この点について、被告人がストーブを土間から座敷にはこぶとき、たまたま座敷への上り口にある前記踏み板にストーブが当たつて二個のふたがはずれたものではないかというが、給油口のふたにしろ、また油量計のふたにしろ、いずれもタンクにねじこむようになつているのであるから、それが踏み板に当たつたくらいでたやすくはずれるとは思われず、ことに、二つのふたが同時にはずれる、ということは通常考えられないし、また、かりに万がいちにもそのようなことがあつたとするならば、それらのふたは踏み板のすぐ近くに落ちていなければならない筈であつて、火災後それらが発見されたときの位置関係とも一致しないことになる。してみると、給油口と油量計のふたは、被告人がストーブを座敷にはこび入れたときはやはりしめられた状態にあつて、その後、被告人がそのストーブをふたたび店の土間におろしてから火災後それが発見されるまでのいずれかの時点においてはずれたものと考えるほかはない。そこで、本件ストーブが給油口と油量計とのふたがしめられた状態のままで座敷内で点火され、それが転倒したとしても、給油口や油量計の口から油が流れ出す筈がないから発火の可能性がないのではないか、ということが一応考えられるわけである。しかし、前記塚本鑑定書、および同人の証人兼鑑定人としての供述によると、燃焼中の石油ストーブが、給油口を上方として転倒したばあいには、倒れてから五分三〇秒くらいして芯を伝わつてとぼとぼと灯油がこぼれ出し、一〇分間で約九〇CCに達することが認められるから、その間その灯油がそばの畳やカーペツトに着火し、燃焼を続ける可能性が肯認されるから、給油口のふたなどのはずれているばあいよりもじやくかん時間はかかるとしても、やはり出火の原因となり得ることがうなづけるのである。また、火災後発見された本件石油ストーブの芯が消火した状態の位置までさげられてあつたことは、さきにも述べたとおりであるが、この点も、「座敷でストーブが倒れそのまわりが燃え出したのでおどろいてストーブの栓を閉めた。」という被告人の原審第三回公判廷における供述を念頭において考えれば、けつして不合理なことではない。さらに、右ストーブの給油口や油量計のふたがはずれていたことについても前記塚本鑑定書、および同人の証言によると、火熱をうけると、給油口のふたの内部に取り付けてあるゴムパツキングが焼失し、また、合金製の油量計の口ぶたもなまつてきて、いずれもはずれやすい状態になることが認められ、したがつて、本件の火災中にそれらが激しい火熱をうけているうちに他の落下物などによる衝撃のためにおのずからはずれるという可能性もないことはない、と思われるから、これまた、必しも説明不可能な現象ではない。

以上の諸点に加えてなお、被告人が、いかに久恵の仕打ちに憤慨し、かつ酒の勢があつたとしても、苦労して寿司屋を開業し、どうやらその経営に目鼻がついた時点でこれに放火し、せつかくの努力の結果をたちまちのうちに無に帰せしめ、家財道具類になにひとつとして火災保険も付していない自家を烏有に帰せしめようなどということは、常識上、容易に思い及び得ないところと考えられること、そして、また、現にストーブが倒れた後、座敷内に火の手があがるのに気がつくと、おどろきのあまりとつさに自己がはいていたズボンをぬいでそれで火を叩き消そうとしたということは、原審、および当審を通じて終始被告人みずからが強調しつづけているところであるし、さらに、実際被告人が、店にあつたホースで水をかけ必死に消火しようとして一見半狂乱の状況を呈し、全身びしよぬれになつてうろうろしていたことは、原審証人落合博、同前沢敏夫の各供述その他の関係証拠によつてこれを窺い知りうることなどをも考え合わせると、被告人が、新聞紙に点火して座敷内に投げ出し、放置すればその周辺の散乱物も燃えて家屋に燃えうつり、火災になることを認識しながら、同室内にあつた新聞紙にマツチで点火してこれを右室内に投げ出し、よつて右散乱物や同室西側障子に右新聞紙の火を延焼させて放火した、との原判決の認定については、もとよりこれをささえる幾多の証拠が存在するにもかかわらず、なお、合理的な疑いをさしはさむ余地あるものといわざるを得ない。

よつて、原判示事実は、結局、その証明が十分でないことに帰するから、これを肯認した、原判決は、事実を誤認したものであつて、右はもとより判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免がれない。

よつて、本件控訴は理由があるから、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄するが、さきに詳述した理由によつて、当審検察官が予備的訴因として追加した重過失失火の罪の成立は、じゆうぶんこれを認めることができるから、当裁判所は、同法四〇〇条但書にのつとり、さらに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は埼玉県北葛飾郡杉戸町杉戸二丁目一二番二〇号において飲食店松寿司を経営する者であるが、昭和四二年七月ころ知人の債務保証を為し、五〇万円位の出捐を余儀なくされたため家庭も不和となり内妻高木久恵と度々口論するようになつたが、昭和四二年一一月一〇日午後一一時頃、被告人において出前の帰りに近所のバーで飲酒して帰宅した際、右久恵より借金を抱えているのにバーで飲酒したことを鋭く詰問されて憤激し、さらに被告人の憤激に驚いた同女が近所の家主戸田昇方に逃げ込んだので、店舗内にあつた石油ストーブ(シヤープHSA―六七型)に点火してこれを奥八畳間の居室に持ち込んだのであるが、燃焼中の石油ストーブについてはこれを転倒させることのないようにその取扱については十分に留意し以て石油ストーブの転倒による火災の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、その後、また、右久恵を呼びに行つたが一向に戻つて来ないのでいよいよ激昂のすえ、同室内にあつた物をほうり投げるなどしてあばれまわつているうち何らかのはづみに右石油ストーブをその場に転倒させた重大な過失により、転倒した右石油ストーブから灯油を流出せしめて畳等に浸み込ませてこれに引火せしめ散乱物や西側障子等に順次延焼させ、よつて前記久恵および同女の長女洋子の住居に使用する戸田昇所有の家屋一棟(木造平家建トタン葺、三四、一九平方メートル)を全焼させてこれを焼燬したほか、南隣の高田福松所有の木造二階建瓦葺居宅一棟(一階三六、三六平方メートル、二階二九、七五平方メートル)および北隣の木村義一郎所有の杉戸郵便局舎一棟(木造二階建瓦葺建物一階一五一、二三平方メートル二階五二、〇六平方メートル)に延焼させて高田福松所有の家屋を全焼させ、郵便局舎のうち約一四二平方メートルを焼失させたものであり、なお、被告人は飲酒酩酊のため、右犯行当時心神耗弱の状態にあつたものである。

(樋口 目黒 伊東)

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